インタビュー
《インタビュー》ハラハブ屋
伝統と革新をつなぐ:ハラハブヤ家が目指す自然との共生
芸術・教育・哲学を通して、人とハブの関係を変革する三代目職人の挑戦
エヴァンゲリア・パポウツァキ
本稿では、エヴァンゲリア・パポウツァキが、三代目職人である原武臣さんが、かつての「駆除」の歴史を「教育」「創造性」「共感」、そして「生態学的な気づき」へと転換している姿を紹介する。漫画やキャラクターステッカー、哲学的な物語を通して、原さんは私たちに自然界との関係を見直すことを促している。その出発点となるのは、多くの人々に恐れられてきたハブである。
龍の壺と難破船
奄美大島には、ハブがどのようにして島にやって来たのかを語る昔話がある。
原家が笠利の空港近くにハブ屋を構えるずっと以前のこと。県による血清事業もなく、ハブの駆除や共生といった考え方すら存在しなかった時代。その物語は、一隻の難破船から始まる。
琉球王国からの献上品を積んだ船が沖合で遭難し、漂流の末に枝手久へ流れ着いたという。その積み荷の中には、龍の彫刻が施された黄金の壺があった。そして、その壺の中にはハブが入っていた。
岩場で壺が割れると、逃げ出したハブは繁殖し、やがて島中へ広がっていった。壺そのものもまた、畏れを伴う存在となった。持ち帰った者には災いが降りかかるとされ、そのたびに元の場所へ戻されたという。龍の彫刻を実際に見たと語る人もいた。
本当に見たのかどうかは分からない。しかし、その物語は語り継がれてきた。
これは単に生き物の由来を説明するための伝承ではない。ハブを、権力と危険、そして畏敬が交差する存在として位置づける物語である。招かれざる客として島に現れ、災厄を生き延び、そして安易に排除することのできない生き物。そのようなハブ観が、この物語には込められている。
武臣さんも、この話を知っている。
名瀬の古いアーケード街にある店で、教育用ステッカーや哲学的な漫画本に囲まれながら、彼はこの伝承を、祖父や父が生きたより新しい時代の記憶とともに受け継いでいる。
駆除から教育へ
奄美大島では、原家が長年にわたり独自の歩みを築いてきた。その営みは、人々の恐怖を興味へ、そして共生への理解へと変えていくものだった。笠利町の空港近くにある彼らの店は、何世代にもわたって毒蛇ハブと深く関わってきた。ハブは畏れられながらも、ときに崇められてきた存在である。
現在、その家業に新たな息吹を吹き込んでいるのが、49歳になる長男の武臣さんだ。伝統的な技術に創造性と教育的な物語を融合させながら、人と自然との調和を訴えている。彼は名瀬の旧商店街にある家族経営のもう一つの店舗を切り盛りしている。店内に足を踏み入れると、ひときわ目を引く品々が並んでいる。ハブ革を使った革製品、ハブをモチーフにしたTシャツ、動物たちを可愛らしいキャラクターとして描いた教育用ステッカー、そして人間と野生生物の対話を描く漫画本などである。
名瀬の店に立つ原 武臣氏
「いつかは自分がやるだろうと思っていました。」
そう語りながら、彼は色鮮やかなキャラクターステッカーを丁寧に並べていく。一枚一枚には奄美に生息するさまざまな生き物が描かれており、危険な動物でさえ親しみやすく感じられるような、柔らかく遊び心のあるデザインになっている。自らの運命を自然に受け入れているかのようなその言葉の裏には、2000年に大学から帰郷して以来、家業にもたらしてきた革新的な変化が隠されている。
原家の事業は1948年に始まった。彼の祖父がハブの死骸を加工し、伝統薬や革製品を製造したのがその起源である。それは生活のための実践的な仕事だった。当時、ハブは島中に生息し、人々にとって危険な存在であり、駆除すべき害獣としか見なされていなかった。
1954年には鹿児島県が抗毒素(血清)製造のために生きたハブの買い上げを開始し、人とハブとの関係を長年にわたって規定することになる組織的な駆除政策が始まった。
原ハブ屋の歩み
「昔は、ハブはどこにでもいて危険だから、見つけたら殺すべきだと考えられていました。」
彼はそう語る。その口調には、そうした時代の重みがにじんでいた。駆除推進の動きは1976年、「ハブ撲滅推進協議会」の設立によって最高潮に達した。その名称自体が、ハブを排除すべき問題として捉えていた当時の価値観を象徴している。
しかし、福岡の東和大学で学んだ後に奄美へ戻った彼は、まったく異なる未来像を抱いていた。
「2000年頃に戻ってきたとき、ハブを新しい形で活用したいという目標がありました。」
それ以上に重要だったのは、人とハブとの関係そのものを根本から見直す必要があると気づいたことだった。
「いちばん大切なのは、まず人々にハブを知ってもらうことです。」
彼の目指すものは、単なる駆除でも保護でもない。理解を通じて、恐怖の対象だった生き物を知ることから始まる新たな関係を築くことなのである。
共生の哲学
こうした啓発活動が具体的な形を取り始めたのは2006年のことだった。彼はその頃から、ハブの皮や骨を使わない教育的な商品の制作を始めた。キャラクターステッカーやTシャツ、そして後には漫画本が、人と自然との共生というより深いメッセージを伝える媒体となっていった。それぞれの商品は、奄美の生態系について学ぶための入口として機能している。
たとえば、彼が制作したルリカケスのステッカーを見てみよう。そのキャラクターは親しみやすく楽しげな姿をしているが、その背後には教育的な意図が込められている。
「奄美にはさまざまな生き物が暮らしています。本当の姿を知りたければ、その生き物の名前に注目してください。」
ステッカーには、生き物の名前がひらがな、カタカナ、英語で表記されており、人々が自ら調べ、学びを深めるきっかけとなるよう工夫されている。
原ハブ屋デザインのTシャツ
原ハブ屋デザインの商品
原ハブ屋デザインのステッカー
彼の作品のなかでも特に印象的なのが、ホテイアオイをモチーフにしたキャラクターだ。美しい青い花を咲かせる存在として描かれているが、その背後には複雑な環境問題がある。
「花はとてもきれいなんですが、川では大繁殖してしまうんです。繁殖力が非常に強くて、水面を覆ってしまうので、下にいる生き物たちは光が届かずに生きられなくなります。」
海外ではその侵略的な性質から「ブルーデビル(青い悪魔)」とも呼ばれるこの植物は、彼が作品を通じて問いかける数多くの生態学的矛盾の一例である。
こうした表現活動の背景には、彼自身が長年にわたって人間と自然との関係に潜む矛盾について考え続けるなかで培ってきた哲学がある。
「共生にはさまざまな形があります。しかし、共生について考えたり研究したりすると、多くの矛盾が見えてきます。」
そう語った後、彼は一つの例を挙げた。
「たとえば、人間は嫌悪感を抱いたというだけで生き物を殺してしまいます。」
その言葉は単純でありながら、人間と自然との関係に潜む根源的な問題を突いている。彼にとって共生とは、ただ自然を守ることでも、危険な生き物を無条件に受け入れることでもない。まずは自らの感情や偏見を見つめ直し、なぜ特定の生き物を恐れ、嫌い、排除しようとするのかを問い続けることなのである。そこから初め、本当の意味での理解と共生が始まるのだ。
漫画による静かな革命
彼の最も意欲的なプロジェクトが形になったのは2019年のことだった。2006年から少しずつ生み出してきたキャラクターたちを主人公とする初の漫画本を出版したのである。
物語の舞台は「奄美大島国」と呼ばれる架空の国だ。もちろん、そのモデルは奄美大島である。この漫画は、もし人間と動物、そして植物が同じ言語で意思疎通できたら何が起こるのか、という問いを軸に展開していく。
主人公は「ハブマン」。彼は人間と接するなかで言葉を覚え、人間の行動や考え方を少しずつ理解していく存在として描かれている。
「このハブマンは学んでいくんです。人間と一緒に暮らすなかで人と接触し、話せるようになります。そうして人間の言葉を覚え、人間の行動や振る舞いを学んでいくんです。」
しかし、この作品は単純な教訓話ではない。むしろ、安易な結論を避け、読者自身に考えることを促す構成になっている。
「この漫画の一番の目的は、結論を出すことではありません。」
彼はそう強調する。
「むしろ問いかけなんです。こういう状況があって、こういう事実があります。そのとき、自然と人間との関係について、あなたはどう考えますか、と。」
物語の一つには、突然変異したヤスデたちが人間に反旗を翻すというエピソードがある。彼らは単に「気持ち悪い」という理由だけで殺され続けてきた。その結果として生じる対立は、必要性ではなく嫌悪感にもとづく殺生がどのような帰結をもたらすのかを象徴的に描いた寓話となっている。
「人間は小さな生き物なら殺してもいいと思っています。」
彼は静かにそう語る。
「こうした矛盾はたくさんあります。」
漫画を通じて彼が描こうとしているのは、人間が当然のものとして受け入れている価値観への問いかけである。なぜある生き物は守られ、別の生き物は嫌われ、殺されるのか。人間はどのような基準で命の価値を判断しているのか。彼の作品は答えを与えるのではなく、読者にその問いを投げ返す。
それは娯楽作品であると同時に、人間と自然との関係を見つめ直すための哲学的な実験でもあるのである。
人間がつくり出す「バランス」への問い
おそらく彼の最も深い洞察は、「生態系のバランス」という概念そのものに向けられている。
彼は、生態系のバランスとは本来、人間が決めた定義にすぎないと考えている。
「生態系のバランスというのは、人間が決めた定義なんです。だから、それを地球規模で考えることは不可能だと思います。」
この認識は、環境問題や自然保護についての議論が、しばしば人間中心の価値観に基づいていることを示唆している。そして、その視点への問いかけは、彼の活動全体を貫く重要なテーマとなっている。
彼はまた、人間に特有の性質として、自己犠牲、他者を助ける行為、さらには自死といったものを挙げる。こうした行動は他の動物には見られない特徴であり、人間とは何かを考えるうえで欠かせない要素だという。
そして、それらの特性は単なる違いではなく、人間に特別な責任を課すものでもある。しかし、その責任から目を背けたり、十分に向き合おうとしなかったりする人も少なくない。
彼の活動には実に多様な人々が惹きつけられている。個性的な土産物を求める観光客、彼の自然観や哲学に共感する自然愛好家、そして親しみやすいキャラクターを通じて奄美の生物多様性を学ぶ子どもたちである。
近年では、彼の漫画を教材として活用する地元の学校も現れ始めている。それは、彼が長年取り組んできた「学びを通じた共生」のアプローチが、個人の活動の枠を超え、地域社会のなかで教育的な価値を認められつつあることを示している。
彼が描くキャラクターや物語は、単なる娯楽ではない。それらは、人間が自然をどのように理解し、どのような関係を築いていくべきなのかを考えるための入口なのである。そしてその問いは、奄美という一つの島を超えて、私たち自身の生き方へと向けられている。
原武臣氏が手がけた漫画『AMAMI FOREST WARS』
原ハブ屋デザインのトランプ
恐怖から理解へ
ハブに対する公的な姿勢の変化は、彼自身の歩みとも重なっている。
かつて「ハブ撲滅推進協議会」として活動していた組織は、ハブのような固有種を根絶することが生態系に深刻な影響を与えると認識するようになった。そして2002年頃、「ハブ対策推進協議会」へと名称を変更したのである。
「撲滅」から「対策」へ。
その言葉の変化は大きな前進を意味していた。しかし、それでもなお、本当の意味での共生への道のりは続いている。
現在でも、人が暮らす地域ではハブの捕獲が行われている。畑や道路、住宅地などで発見された個体は安全確保のために捕獲される。一方で、山林の中にいるハブをわざわざ捕まえることはない。
この方針は、人々の安全と生態系の維持という二つの要請のあいだで築かれた、現実的な共生のかたちと言えるだろう。人間の生活を守りながらも、ハブが自然界の一員として果たしている役割を認める姿勢がそこにはある。
名瀬の原ハブ屋店舗でのエヴァンゲリア・パポツァキ氏
原ハブ屋笠利店で開催されるハブショー
彼の店に立ち、長年にわたる創作活動の成果に囲まれていると、そのような価値観の変化が目に見える形で表現されていることに気づく。
伝統的なハブ革製品の隣には、教育用ステッカーや哲学的なテーマを扱った漫画が並んでいる。それらは、人間とハブとの関係がたどってきた歴史の幅広さを物語っている。恐れの対象であり、生活資源であり、学びの題材であり、そして思索の相手でもあるという、多層的な関係性である。
笠利にある原家のハブ展示施設は、今も訪れる人々に奄美の野生生物について伝え続けている。しかし、その役割はかつてとは少し異なっている。単に危険性を教えるだけではなく、人間と自然がどのように共に生きていくのか、そして私たちは他の生き物をどのように理解すべきなのかという、より深い問いを投げかける場にもなっているのだ。
恐怖から理解へ。
それは一人の男性の人生を表す言葉であると同時に、奄美における人とハブとの関係が歩んできた変化そのものでもある。理解は必ずしも危険をなくすわけではない。しかし、理解は恐怖だけに支配されない新たな関係を可能にする。そして、その先にこそ共生への道が開かれているのである。
芸術家であり哲学者
この対話を通して私が最も印象を受けたのは、彼が実務的な関心事と哲学的な思索のあいだを実に自然に行き来することだった。ある瞬間にはステッカー制作の技術的な細部について説明しているかと思えば、次の瞬間には「人はなぜ嫌悪感を抱くだけで生き物を殺してしまうのか」という倫理的な問いについて考察している。長年にわたり恐怖を理解へと変えてきた彼にとって、日々の仕事と深い思索が結びついていることは、ごく自然なことなのだろう。
彼のビジョンはハブだけにとどまらず、奄美の生物多様性全体へと広がっている。一つひとつのキャラクターステッカーは、知る価値のある生き物、排除されるのではなく理解されるべき存在を表している。芸術を通して動植物を親しみやすいものにすることで、彼はこれまで存在しなかった共感と理解への道筋を生み出している。
「若い頃は、ハブは神様だと思っていました。」
そう語る彼の言葉には、生き物との関係に宿る精神的な側面が垣間見える。その畏敬の念に、実践的な知識と芸術的な想像力が加わることで、教育的でありながら娯楽性も持ち、人間と自然との関係についての根本的な前提を問い直す、独自の作品世界が生み出されている。
対話が終わりに近づいた頃、彼は自らのキャラクターが描かれたステッカーを何枚か手渡してくれた。その一枚一枚には、奄美の野生生物を、恐れたり無関心でいたりする人々にも身近な存在として感じてもらうための、長い思索の時間が込められている。それは小さな贈り物だったが、恐怖を好奇心へ、無知を理解へ、対立を共生へと変えていこうとする彼の大きな使命を象徴するものでもあった。
奄美大島の至る所でハブ注意の看板を目にすることができる
原ハブ屋笠利店の看板
原ハブ屋笠利店に展示されているハブの皮
ハブは今なお危険な生き物である。しかし、一人の人間のビジョンによって、もはや単なる「駆除すべき敵」ではなくなった。彼らは教師となり、私たちとは大きく異なる生き物と世界を共有するとはどういうことなのかを語る物語の登場人物となったのである。人間と自然との関係を新たな視点から考えることが求められる現代において、日本の小さな島で静かに進むこの変化は、理解が恐怖に打ち勝ち、共生が対立を超えうるという希望を示している。
彼の漫画作品もまた、このような変化を映し出している。そこでは、人間と動物との「あいだの戦争」が描かれ、ときにはヤスデが「侵略者」として扱われるなど、人間中心的な自然観への批判が込められている。これまでに二冊の漫画が出版されており、今後も続編が計画されているという。世界各地の環境文学にも触発され、英語版の出版も視野に入れている。
「もし一つの石がアラスカの誰かに“語りかける”ことができるなら、どうして私たちのハブの物語が世界に届かないでしょうか。」
そう笑いながら語る彼の言葉には、奄美のローカルな物語が、自然との関係を見つめ直す普遍的なメッセージとして世界へ広がっていく可能性への期待が込められていた。
継承されるもの、そして未来へ
原ハブ屋の物語は、奄美が抱えてきたより大きな葛藤を映し出す縮図でもある。伝統と革新、恐怖と理解。そのあいだで揺れ動きながらも、新たな道を模索してきた歴史がそこにはある。
笠利空港近くにある原ハブ屋は、単なる土産物店ではない。ハブのショーや体験型の学習プログラムを提供する教育の場としての役割も担っている。
「観光客にも地元の人にも、何かを知りたいという気持ちを持って帰ってほしいんです。」
彼はそう語る。
生物多様性の喪失が世界的な課題となるなかで、原ハブ屋の取り組みは示唆に富んでいる。そこには商いがあり、環境保全があり、そして芸術がある。その三つを結びつけながら、対立を協働へと変えていこうとする試みは、人と自然との新しい関係を考えるための一つのモデルとも言えるだろう。
彼らが伝えようとしているメッセージは、シンプルでありながら深い。
共生は、好奇心から始まる。
恐れる前に知ること。排除する前に理解しようとすること。その小さな一歩が、人と自然との関係を変える力を持っているのである。
: インタビューの際の通訳にご協力いただいた瀧谷京子氏に感謝申し上げます。
原家二代目・三代目(左から2人目が武臣さん)
原ハブ屋についての詳細はこちら:
原ハブ屋公式サイト
*ハブ伝来伝説の出典:高橋統一編『奄美伝統文化の変容過程―総合文化人類学的研究』国書刊行会、1983年。
** 写真:原ハブ屋公式サイト、著者提供
: インタビューの際の通訳にご協力いただいた瀧谷京子氏に感謝申し上げます。
原ハブ屋についての詳細はこちら:
原ハブ屋公式サイト
*ハブ伝来伝説の出典:高橋統一編『奄美伝統文化の変容過程―総合文化人類学的研究』国書刊行会、1983年。
** 写真:原ハブ屋公式サイト、著者提供




