本場奄美大島紬
特徴・歴史・工程・染・柄
風のように軽やかで、大地のようにあたたかく、満天の星のように細かい絣の至高の絹織物
大島紬の特徴
本場奄美大島紬は、世界に類をみない細かい絣模様と、神秘的な黒色が特徴の天然手織りの織物だ。泥で糸の表面を包むためあたたかく、汚れやシワがつきにくい。その魅力は、フランスのゴブラン織り、イランのペルシャ絨毯と並ぶ世界三大織物の一つとも評されている。
紬の起源と歴史
奄美大島における養蚕の歴史は古い。6〜7世紀頃、奈良東大寺や正倉院の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」との記録が残されている。この褐色紬が奄美からだったとすれば、1300年前には、現在の紬の源流のようなものが生産されていたことになる。
絣のルーツは、一般的には約5000年前にインドで織られたイカットという絣織りだといわれている。奄美への伝来には2説あり、スマトラ、ジャワからスンダ列島一帯に広がりを見せた9世紀頃、奄美が遣唐使の中継基地だったため直接に伝わったという説と、琉球や久米島を経て伝わったという説とがある。
紬が奄美の文献に最初に現れたのは、1720年の『大島政典録』のなかの、絹布着用禁止令だ。奄美の島々を直轄領にしていた薩摩藩は、奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島の4島の上級役人には紬着用を許すがその下の者には禁止した。紬(絹)は藩への高級な上納品であり、一般の着用は禁止されたのだろう。
具体的な記録としては、1850〜1855年まで奄美大島に遠島になった薩摩藩士の名越左源太(なごやさげんた)が描いた『南島雑話(なんとうざつわ)』がある。ここには、芭蕉布や絣模様のことなどが絵入りで詳細に描かれている。
幕末の紬は無地や縞柄が多く、絣模様をつくるには芭蕉繊維を手作業でくくって作った。明治40年ころまでは、この仕事は女性の夜の仕事で、各家庭持ち回りで、若い男衆は三味線片手に集い、即興で唄をかけあい、なかなか楽しい仕事だったようだ。
明治時代に入ると、上納品だった大島紬は商品となる。大阪での博覧会で人気を博したことから需要は拡大し、奄美の経済を支える一代産業へと発展する。
明治末には、これまでの手ぐくりによる絣出しから、革新的な締め機が奄美で発明され、世界に類をみない繊細で鮮明な絣が生み出されることとなった。現在は、分業化が進み、32もの工程をそれぞれの専門家が担当し、一反の織物ができあがるようになった。
また 現在では、大島紬は着物だけではなく、広く洋装化や生活用品にも生かされ、様々な商品が創作されている。
泥染めの誕生
奄美の泥染めの由来には、以下の伝説が伝わる。薩摩藩への上納品の紬を織りながら島人は身にまとうことが許されなかったため、ある時役人の調べから隠そうと、農家の主婦が反物を泥田に沈めて隠した。後に取り出してみると黒く染まっていたという。
本場奄美大島紬のおもな工程(写真解説)
①図案
②糊(のり)張り
③締め
④車輪梅(しゃりんばい)染め
⑤泥染め
⑥準備加工
⑦手織り
⑧絣調整
⑨製品検査
⑩地球印の商標
大島紬の染めの種類
泥大島(どろおおしま)
泥藍大島(どろあいおおしま)
草木泥染め大島(くさきどろぞめおおしま)
色大島(いろおおしま)
白大島(しろおおしま)
柄の種類
古来より奄美の先人たちは、ハブやソテツ、アダンや魚の目、星、花、甲羅などの自然や生活の中から大島紬の文様を生み出してきた。
龍郷柄
秋名バラ
割り込み柄
亀甲柄
写真・解説/ホライゾン編集室