文化と歴史

奄美群島歴史概略(旧石器〜古墳時代並行期)

旧石器〜縄文時代並行期

琉球列島で見つかる遺跡の発掘調査によって、旧石器時代(30,000年前)から貝塚時代(7,000年前~1,000年前)の島々には狩猟採集民が住んでいたことが明らかにされています。奄美諸島もその例外ではなく、亜熱帯の森やサンゴ礁から得られる資源を利用する生活が長い間続き、11・12世紀頃に農耕が開始され、遠く離れた地域との交易が活発になったことがわかっています。

島という資源の少ない環境で狩猟採集を行う人たちが長い間生活し続けていた琉球列島は、世界中の島々と比べて大変珍しいという専門家もいます。長かった狩猟採集社会から、急激に農耕社会へと移り変わった島々は、世界中の島々のなかでも、琉球列島だけのようで、とても興味深い島として注目されるようになってきたのです。

奄美諸島では旧石器時代に相当すると考えられる遺跡が最近相次いで発見され、島々に旧石器時代の人々が住んでいた可能性が高くなってきました。石器の作り方は九州の技術と関係が深いようですが、それらを作った人たちの化石人骨は見つかっておらず、そのルーツはまだ明らかになっていません。また、彼らがその後も島に住み続けていたのかもまだわかっていません。

その後再び人々の生活が確認されるようになるのは、奄美市笠利町のイャンヤ遺跡などで発見されている爪形文土器の時代(7,000年前)で(※1)、イノシシなどの陸上動物を主な食料にしていたようです。

縄文時代前期並行期〜中期(6500年~4500年前)にかけては、やや厚手の幾何学文様が施された土器が作られました。これらは、九州島の西海岸から南下しながら伝わったと考えられています。縄文時代後期並行期頃になると(4500年~3,300年前)、竹カゴを編んだような奄美諸島独自の文様が描かれた土器が作られるようになりました。これらは南九州の土器文化の影響を受けて作られましたが、九州島や沖縄諸島とは異なる独自の様子をうかがわせます。

縄文時代前期以降、奄美の人々は、海岸の砂丘地を拠点にサンゴ礁域に生息する魚類や貝類も積極的に利用するようになりました。続く貝交易の時代を支える経済的な基礎が整えられていきました。

※1 最近では、それよりも古くなる可能性がある土器も発見されており、旧石器時代との時間的な空白が徐々に埋まりつつあります。

イャンヤ遺跡(奄美大島奄美市)

奄美独自の文様がある土器(縄文時代後期並行期)
写真/奄美市歴史民俗資料館

弥生時代〜古墳時代並行期

奄美市笠利町のサウチ遺跡から九州島の弥生土器の影響を強く受けた土器が発掘されました。器の表面に花柄を思わせる円弧文様が描かれているのが特徴で、弥生系土器と呼ばれています。奄美の弥生時代並行期は、九州島とのつながりが深い時代でした。

弥生時代の九州の特権階級たちには、遠く琉球列島の地から運ばれてきた貝類(ゴホウラ、イモガイ、オオツタノハなど)を使ったアクセサリーを身にまとうことによって力を誇示する習俗があり、その素材を求めて大和の人たちは黒潮を南下し、はるばる奄美・琉球諸島にまでやってきたと考えられています。考古学の分野ではこれを「南海産貝交易」と呼んでいます。

貝交易は古墳時代にも続き、装飾品や金属製馬具の一部に琉球列島の貝類が利用されました。また、屋久島以南に生息するリュウテンサザエ科のヤコウガイは、韓国における5世紀代の遺跡からも発見されており、貝交易は大和を経由して朝鮮半島へも拡大したことが明らかとなっています。

ゴホウラの腕輪(イャンヤ遺跡より出土)(奄美市歴史民俗資料館)

イモガイの貝符(サウチ遺跡出土)(奄美市歴史民俗資料館)

オオツタノハ貝輪(奄美市歴史民俗資料館)

ヤコウガイ(リュウテンサザエ科)(奄美市歴史民俗資料館)

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